書道を通じて世界の架け橋に
書道家としてのこれまでの功績
①高校生の時に書道展で全国1位を受賞
▶高校教師時に教え子が書道展で全国1位を受賞
②書の進呈
①メディア活動
②海外活動
〇〇
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坂本幸一の「書道」への想い
書道を通じて
世界中の人を
元気にする
書道を通じて世界中の人を元気にする
①・・・・・・・
・・・・・
②・・・・・
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美文字レッスンのビフォーアフター
①「美文字」効果
②「生き方」の変化
書道家「坂本幸一」のプロフィール
元高校教師。PEACE ARTS 株式会社 代表取締役社長。
世界の架け橋となることを目指して活動中の書道家。
高校生2年生の時に恩師と出会い書道を学び始める。
後に高校時代に書道展で全国1位を受賞する。
書道で人生が変わったことを伝えたいと思い、埼玉県の公立教員採用試験(採用された時には倍率が60倍)を突破して高校教師になる。
高校教師時に教え子が書道展で全国1位になる。
その後、書道の可能性を信じて、独立。
現在は様々な国で書道パフォーマンスを披露し、日本と海外をつなぐ活動に力を入れている。
「坂本幸一」私の半生
埼玉県川口市生まれ。
私の実家は非常にお金に困っていました。
壁には穴が空いて外が見え、雨が降ると雨漏りがする家。
風呂もなかったため風呂を作ったりもしました。
さらに家が傾いているため、玄関の平戸が閉まらなくなり鍵もありませんでした。
マンガに出てくるようなボロボロの家に住んでいたのです。
貧乏でも家族仲良く暮らせたらまだいいのですが…
家族は円満とはほど遠い家庭で、私が6歳の頃に両親が離婚し母が家を出ていきました。
母が夜中にタンスから洋服を出して整理をしていたので、
「どうしたの?」と声をかけると
「うん。ちょっと出かけてくる。」と言われました。
この言葉が母と会話をした最後の言葉です。
そんな別れ方だったこともあり、最初は両親が離婚したことが理解できませんでした。
後に私は、自分は捨てられたと思うようになり、大人への不信感をもち始めるようになりました。
さらに、15歳の頃に、父に再婚の話がもち上がりました。
新しい母はバツイチの女性で、突然、新しい弟と妹が家にやって来ました。
結果として、人間関係や金銭的なトラブルが原因で再婚の話はなくなったのですが、その出来事をきっかけにさらに大人への不信感が強くなります。
15歳の頃に父の再婚の話が上がり、新しい母との出会いがきっかけで、自分の本当の母はどんな人だったのだろうと考えるようになりました。
母が北海道の函館にいることを知り、母に会うために15歳のころから居酒屋でバイトをしてお金を貯めました。
そして、16歳の夏、一人で実の母親に会うため函館に向かいました。
上野駅から函館まで夜行列車で向かったのですが、
4人の部屋で自分意外の3人は温かい家族で
すごく気まずかったのを覚えています。
母とは実に10年ぶりの再会です。
よくテレビ番組で実の母親に感動の再会という企画がありますよね。
まさにそれと同じ状況です。想像してみてください。
あなただったら再会した瞬間、どう感じると思いますか?
嬉しくなるのか?
悲しくなるのか?
それとも、怒ってしまうのか?
夜行列車にゆられながら、母に会ったら
どんなことになるのかを想像していました。
そんなことを考えながら函館に着き、
いよいよ母と十年ぶりに再会する時がきました。
その瞬間、どんな気持ちだったと思いますか?
自分でも全く想像しなかった気持ちが出てきたのです。
それは、「気まずい」という感情です。
大事な人のはずなのに、他人のように感じてしまったのです。
10年間という歳月の溝の深さを感じました。
また、そこで母が再婚していることを知り、
自分には父親違いの妹がいることも知りました。
私を捨てて幸せに暮らしていたのか・・・
そう思うと憎しみの感情がわき上がってきました。
その時から大人を激しく憎むようになりました。
大人の言う事は信じない。先生の言う事は聞かない。
大人の話は基本的に聞きたくなかったし、教師の言うこともまともに聞きませんでした。
学生時代はいつも学年で一番悪いヤツと一緒に、夜中外でみんなと集まって遊んでいました。
遅刻の回数もひどく、授業中は教師の話をしっかりと聞かず、ほとんど居眠りをしているような状態でした。
起きていても、ふざけて授業の妨害をすることさえありました。
高校を通う意味を見出だせず、自分の人生は一体何なんだろうかとずっと考え続けていました。
このままではいけないとどこかで思いながらも、心も思考も完全に悪い方向へ向かうのを止められませんでした…。
高校2年のときのことです。
当時29歳の若い教師が赴任してきました。
熱意のある男らしい先生で、悪い奴らから人気のある先生でした。
生徒指導をするタイプの先生ではなく、めちゃくちゃな自分を受け入れてくれました。
書道の授業中に自分だけがものすごいスピードで字を書いて、一部の男子と一緒に盛り上がって授業を妨害することがありました。
落ち着いて座って字を書くのが嫌で仕方ありませんでした。
ところが、その先生だけは自分の作品を認めてくれました。
その先生は、どんなやんちゃなヤツでも存在をしっかりと受け入れてくれました。
そんなある日のおことです。
突然、「お前も書道をやってみないか?」
と先生に声をかけられました。
何で自分が?
と最初は誘われた意味が分からず、
書道も全く好きではなかったので断りました。
どちらかというと運動が好きなタイプだったので
全く書道をやってみようという気になりませんでした。
教師に反発する気持ちも強かったので、
言いなりになってたまるかという気持ちもありました。
ただ、どこかで心に引っかかるものがあったのでしょう。
夏休みに何かの用事があって学校に行くことがあり、
その時にふと書道室に行ってみたのです。
「おー、来た来た。おいで。」
といった軽い感じで書道の教師から挨拶をされました。
それから間もなく、「これから作品を書く」と先生が言いだしました。
私は書道をする気は全くありませんでしたが、
どんなものだろうと思い先生が作品を書く姿を見ることにしました。
すると先生はいきなり1メートル以上ある大きな紙と
作品を書くための大きな筆を持って来たのです。
そして、私の目の前で作品をズバーッと一気に書き上げました。
全身鳥肌が立ちました。
先生はものすごい迫力で筆を動かし、墨は飛び散りまくっていました。
筆は自在に動き、まるで何かの生き物のように見えました。
目の前で凄まじい作品を書かれて、
生まれて初めて書道で感動した瞬間でした。
そのときの「感動」がきっかけとなって
私も書道をスタートすることにしました。
練習を始めたものの、最初は全く書けませんでした。
これまでに字を真面目に練習してこなかったので、
字が下手なのはクラスでも有名でした。
それでも、毎日を漠然として過ごす自分をとにかく変えたかった。
その一心で毎日練習し続けました。
練習し続けて書いても書いても上手くならない。
練習しても良い字を書けずに悔しくて、
勝手に学校に泊まってしまうこともありました。
書道が面白いのは字を書くことだけではなく、
自分の性格が磨かれるたびに字も上達していくということです。
字の練習をすればするほど、
自分の性格が変わっていくことが楽しく感じました。
こうして、高校2年の夏から高校3年にかけて、
とにかく筆で字を書き続けていました。
高校3年の秋のことです。
全国的な書道展でついに1位を受賞しました。
決して私に才能があったというわけではありません。
私がわずか1年で全国的な書道展で1位を受賞できたのは
恩師が私に書道に打ち込んでいきたいと思わせてくれたからです。
恩師の指導は独特で、生徒の抱えている悩みと全て向き合い、
自分らしく生きるために心を解放することを教え、
書道を通じて自分を高めていくことを教えていました。
その指導があったおかげで、全国的な規模の書道展で一位を受賞することができたのです。
このたった1つの成功体験から自分の可能性を
信じることができるようになりました。
人生をどうやって生きていこうかとずっと悩んでいましたが、自分には書道があると確信しました。1つのことを極めていくことで、自分の人生が変わっていくことを実感しました。
そして、
私が恩師に人生を変えるきっかけをもらったように、
次は書道を通じて人の人生を変えたいと思うようになりました。
当時の私は高校生は人生の最終列車の切符を
持っているように感じていました。
高校の間に今後の人生の方向性を定めていかなければ
ある程度残りの人生が決まってしまう。
当時は高校生は非常に重要な時期を過ごしていると考えていました。
だから私も高校生の人生に関わりたいと思いました。
埼玉県で書道の教師になるためには、教員採用試験を通過する必要があります。
当時教員試験は60倍以上の倍率があり、
採用されるものは高校書道教師の場合では年に1名。
一度目の採用試験は不合格。
その時に自分の力の足りなさゆえに大事な人を守れないということも痛感しました。
そこから奮起し、毎朝4時には起床して、夜12時まではぶっ通しで勉強し続ける日々を過ごしました。
その結果、大学を卒業した年には採用試験を突破し、
念願の教師になることができました。
これが教師になってからの私のテーマでした。
かつての私がまさしくそうだったように、
どんな人でも気持ちが変われば、人生を変えられる
ということを伝えたくて全力で教育活動に取り組みました。
不登校だった女子生徒を全国規模の席書大会で
全国3位まで導いたこともあります。
また、教師になって3年目には
生徒を全国的な書道展で1位に導くことができました。
その女子生徒は勉強がすごく苦手で
小学校3年生の時には勉強をあきらめたと話していました。
勉強ができない子でも、自分に自信をもっていない子でも、
全国トップレベルにまでいけることを示すことができました。
生徒が成長していく姿を見て、教育活動をすごく楽しく感じていた。
当時は一生教師でいようと考えていました。
ところが、教師を続けるにつれて、
参加者の声
「花」を扱う華道家として活動しておりますが、坂本先生との出会いからほんの数ヶ月で人生が劇的に変わりました。
現在では海外で舞台パフォーマンスや大学で華道の抗議をする機会に恵まれ、国内外で活動をしており毎日が楽しく充実しています。
先生の講義は感動もので何回も参加される方がいます。ぜひレッスンに参加してみてください。先生にお会いすると本当に人生が変わります!
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